+1

2010年6月11日金曜日

先輩風と同族嫌悪

私はいわゆる「先輩風」というのが苦手だ。いつから苦手になったのか分からないが、とにかく現在のところすっかり苦手になっている。障碍者の就労支援などの飲み会に行ったりしても、たまにそういうタイプの方をお見受けする。

「オマエのダメなところをオレが教えてやるよ」「要するに今のオマエに足りないのは・・・」「今度オレが見本を見せてやるから、そこから何かを学べよ」・・・そんな説教を耳にしてしまうと、どうにも居心地が悪くなって逃げ出したくなるのだ。

できれば飲み会では説教を聞きたくないモノだ。面倒見がいいタイプと言えば、おそらく面倒見がいいタイプなんだろうと思う。だから適材適所というやつで、きっとそういう人が役に立つ領域はあるに違いないし、きっと感謝している人もいるんだろうと思う。

それなのになぜ、私は先輩風で説教をする人が苦手なのか。それはたぶん、私もそういうことが本質的に好きだからなんだろうと思う。自分の中で理性がなくなったら、いろんな人に説教して回るような気がする。いくらかしているかもしれないが、できればしたくない。

経験のある人の言葉は貴重だ。そして自分が体験したことを、未体験の人に伝えることもとても大事だ。しかし、無意識にとはいえ「上下関係」ができてしまうと、自分の判断を相手に押しつけてしまうことがあるのではないかと思う。

たとえば「オマエのダメなところをオレが教えてやるよ」という言葉には、「自分のやり方=正しい」ゆえに「自分のやり方以外=ダメ」という価値観の押しつけが含まれている。そして基本的に「上から目線」というのは本人にとって気持ちのいいものだ。実にイヤらしい話だが。

人はそれぞれ得意なことが違う。好きなことも違う。考え方も違う。しかし、そういう基本的かつ簡単なことをいとも簡単に忘れてしまいがちだ。私はその昔、自分の価値観を押しつけてしまった結果、有能な部下を失ってしまったことがある。その時の教訓は今も心にしみついている。

心地よい「上から目線」に慣れすぎてしまうと、それで誰かを縛り付けてしまっていることに気づかなくなってしまう。先輩として親切な気持ちから生まれた言動であっても、相手にとっては迷惑きわまりない圧力となっているかもしれない。

得意げに先輩風を吹かして説教をしている人を見ると、まるで過去の私をみているような気がしてしまう。なんともいえない気恥ずかしさで逃げ出したくなる。今さらガキ大将でもあるまいしと。そういう意味では同族嫌悪なのだ。

世の中はうまくできているような気がする。イヤなシーンに出会うからこそ思い出せることもある。きっと「人の振り見て我が振り直せ」ということなのだろう。そういう意味では私の役に立って頂いているわけだ。やはり感謝しなくてはいけない。

0 件のコメント:

コメントを投稿