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2009年3月31日火曜日

空気を読む

もう、だいぶ過ぎ去ったようにも思える「KY」。まぁ、アホラシイ短縮語ですね。コレ。

「空気読めない」も「空気読める」も、どっちにも取れる短縮語ですもん。ついでにいえば、普通はデフォルトで否定形にはならないと思う。しかも単なるローマ字の頭文字。まぁ、この程度の低そうな感じがウケたんだと思いますけどね。
(「KYR」→空気読める・・・っておい、発想が小学生レベルじゃん!?)

で、空気を読む読まないということについて、いろんなメディアでプチ討論みたいなことがあったワケです。「空気の読めない人が多すぎる!」だとか、逆に「空気が読めることがそんなに偉いのか?」とか。

今さらではありますけど、どっちも違うんじゃね?・・・と思います。そんなもんケースバイケースなんじゃないのかなと。根本的には思いやりの問題だと思います。

この状況でこういう行動をしたら、相手はどういう気持ちになるだろうか・・・と考えて、その行動をやめることも大事だと思います。逆に相手の気持ちを害することを覚悟しても、相手のことを真に思って行動することも大事だとも思います。

正直、空気は関係ないと思います。
追い風だろうが向かい風だろうが。

空気を読むことだけに必死な人は、単なる風見鶏だと思います。
空気が読めなさすぎる人は、人が遠ざかっていくと思います。

でも、個人的にはKYって言葉、窮屈っぽくて好きじゃなかったな。

出費制限

ずっとハケン契約が続くだろうという甘えも、今さらないワケですが。ただ、3月で打ち切りの形で終わるだろうと思っていたハケン生活。6月末まで続くことになりました。これは以前、書いたとおりです。

でも、だからといって、事態はまったく予断を許しません。
遅かれ早かれ、このままハケンを続けるつもりはまったくありません。が、先立つものを確保しなければなりません。

当座の家賃。生活費。それらを賄う新たな収入源。
それらの調達が遅れれば遅れるほど、生活リスクが高まる実感は強いです。まぁ、なんともすごい時期に旗揚げを志向しているものだと思います。

ただ、予測のつく金銭リスクはできうる限り避けるべきだとも思います。そこで少なくともハケン契約のあるウチは、しっかり貯蓄していきます。生存日数を稼ぐつもりで出費制限。今月は財布に数千円しかありません。

口座にいくら残っていようと、決めた以上の預金は引き出していません。最近では「口座には一銭もお金がない」・・・と思い込んでいます。

前に、自分が一日生きるのにいくらのコストがかかるのか計算しました。たしか以前もここに書いたと思うのですが、当時の試算で一日10000円。家賃も税金も全部含めた金額なので限界値はありますが、まだ削れます。

生き延びていくためには、一日あたりの出費を意識して減らすこと。そして、その出費をカバーする収入を得ること。

自分の夢を前にして、せせこましい話なんですけどね。でもそれを叶えるためには、前提条件として生存していく必要があります。

もともと、自分で仕事を立ち上げていくために選んだハケン生活。会社に対して忠誠心を抱きやすいタイプなので、入社はあえて避けました。

でも、心の中に葛藤があるのも事実です。

・ハケン契約がもうちょっと続けば活動資金を貯蓄できる。
・ハケン契約が切れたら本格的に活動することができる。

くそう!
玉虫色だ!

でも、まぁ、いろんな話に目鼻を付けてからでも遅くないと思ってます。いきなり収入源を失ってから、焦りの中で準備を進めるよりずっといい。

いろんな社長の成功談では、リスクを無視して突撃した話もよく聞きます。が、失敗して話すら聞けない人も数多いだろうということを想像します。成功した人の話は参考にはなりますが、それはその人のストーリーです。

自分には自分にしかできない戦い方があるはずです。
借りてきた戦術では、結局、ダメなんだと思います。

2009年3月27日金曜日

ポジティブに

逃げずにポジティブ・・・。
うーん、自分のダメダメぶりが最高潮です。最近。
やっぱり、記録は短くても毎日続けた方がいいのかな・・・と心が揺れる。

誘惑とか堕落とか、そういうのに弱いんですよ。特に私は。
ほとんど見なかったテレビを観る時間が知らず知らずに増えていた。

「仕事に差し支えるから」と中断したブログの毎日更新。
日によって在宅時間が少ないこともあって、やはり毎日は難しい。
・・・けど、やっぱり習慣的に記録を付けていこうと思いました。

ブログによる公開記録(誰も見ていなくっても)をやめるとだらける。
思わず「やっぱり、オレは、だめだだめだ・・・」となりそうになる。

そっちのがだめだよね。
「自分にはできない」という自己暗示は避けたいよ。
自己暗示には絶大な効果があることも分かってるんだから。

現実から目を背けることなく、ポジティブに考えなくちゃいけないな。
これが難しかったりもする。「ポジティブ=現実逃避」となると最悪だ。

まず、現時点での自分に対する判断は避けて、まずはすべきことをする。
そこに立ち戻ろう。

未来について

最近の画像技術や音声処理技術はすごいと思う。デジタル化したことで、メディア情報が後年にわたって劣化せずに残るのかと思うと、なんとも不思議な気がする。

親の世代の写真やら映像やらを見ると、退色していたりボヤけていたり傷が入っていたりしているのが普通だった。下手をすると白黒写真しかなくて、当時の色彩は想像上でしかありえなかったりもした。それが、現代よりも後の世代の人たちは「20XX年の現在」をありのままに観られるんだろう。

でも、きっと未来はその想像を上回るはずだ。私たちが白黒写真にある種の不自由を感じたように、きっと、現在の画像技術や音声技術にすら不自由を感じるのだろう。たとえば未来のある時期に「立体画像が当たり前」になっているとすれば、現在記録しているほとんどの画像は奥行きのない平面画像だ。

私たちが、画像処理技術が日々進化していると感じている「現在」は、「奥行きを再現する画像技術が未成熟な時代」と呼ばれる日が来ると思う。

「まだ音楽を装着デバイスで聴いていたあの時代」
「まだ人間の判断でクルマを運転していた当時」
「まだコンピュータにキーボードがついていた頃」

40年前の最新技術は、今から考えると逆におとぎ話のようだが、たぶん現在すらおとぎ話になってしまうと思う。

それを恐れちゃいけないんだと思う。
そして、現在をおとぎ話に変えていくのは、自分たちなんだと思う。

2009年3月21日土曜日

毎日書こうなんてやめた

・・・と思ったら、ぽろぽろと書きたいことがでてくる。
なんなんだろうね。これは。

ただ、まぁ、たくさん書こうとかそういう気負いはナシの方向で。
・・・で、何が書きたいのか・・・なんだけど。

あんまり後々まで考えるのってやめようかなー・・・と思うんです。

まずは、思いつくことから、始められることから、確実にやっていく。
その先に何があるとか、とりあえずナシで。

人生だってさ、突き詰めて後々のことまで考えると「死」なんだよね。
いつかは迎えるモノとして考えるのは大切なんだけどねぇ。
でも、毎日考えるようなこっちゃない。

毎日、楽しく頑張って生きると、その結果、いい死がくるんだと思う。
行き当たりばったり・・・とも違うんだけど、まぁ、できることやります。

自分の立ち位置

木曜日は三人の起業家にお会いすることができました。いろいろな無理をして事業を広げてきたらしく、聞いた話は大いに参考になりました。
まぁ、正直なところ、凹みもしましたけどね。いろんな苦労話を聞いて、「これは自分にマネができるだろうか?・・・いや、そこまではできない(やらない)と思う。」という内容もありましたから。

でも、他人と自分を比較して落ち込むという罠にかかっちゃいけませんね。いろんなタイプの人間がいて、みんなそれぞれ、そのタイプに合わせた生き方を選択しているんだろうなと思います。
「自分にマネができるだろうか?」・・・というか、マネをする必要なんてどこにもないワケじゃないですか。むしろ、自分をよく見ないでマネをすることほど危険なコトはないなぁ・・・と思い直しました。

そのあたりは成功本に似ているような気がします。

ホームレスから身を立てた人の話を聞いてホームレスから始める必要はないし、大工の下積みから夢を目指してうまくいった人の話を聞いて大工を始める必要もないということです。
サクセスストーリーを聞くと、自分が後ろを歩いていることを思い知らされるものです。そして、自分が必要以上に小さくも見えてしまうものです。そしてその一部は事実であったりもします。

羨望は自分よりも他者にスポットライトを当ててしまいます。誰にも持ち味があるにも関わらず、自分の持ち味が見えなくなってしまいます。自分が持っている武器をよく考えないといけません。

でも、こういうこと、正直、ブログに書きたくないなーとも思います。実際に「思い」を実現できていない人間のくせに「何を自分を納得させようとしてんだよ!」というようにも思えるからです。単なる自己弁護じゃねーかよ・・・とか。

だから、もう、あまり、くどくどとは書きません。

ただ、「やるか」「やらないか」・・・この問いには答えられます。

「やります!」

では、自分らしく「どうやって?」を考えていきます。

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思うところがあって、ブログ日記、毎日、書くのをやめました。
「順序が逆だろう!」と思ったからです。

仕事のことで何かを書こうとしても書けないこともいっぱいあります。まだ世の中にでていないにしても企業秘密はあります。これから目指したいこと自体が企業秘密です。まだ何も起こせていないからこそ、アイデアこそが全ての資産だと思っています。

いずれ、世の中にいろいろなものを提供できる立場になった時には、ブログにも書けるようになってくると思います。でも、ブログを書こうとして、書けないことがあまりに多い状況にジレンマを感じていました。

書けないことを書かない代わりに、なんとか書けそうなことを探してくるんじゃダメなんです。書けないことが多すぎる時は、まず、それを実現させることのために時間を注ぐべきだと思うんですよ。最近。

まだ、中案件、小案件は進行中です。ただ、ここに書けないのは、アイデアがだいぶ形になってきているからです。大案件についても・・・なんとかしたいけど、ちょっと優先度は低めで。

とりあえず、そういう状況なので、ブログ、ほどほどにします。

2009年3月18日水曜日

必要ない人々?

大企業での業務体験研修(?)もそろそろ2年になるわけですが、つくづく「誰かひとりいなくなっても問題ない組織社会だなあ」と思います。よっぽどクリエイティブな仕事をする人でないかぎり、実際にそうなんだと思います。

逆に仕事の一面としては「誰がやっても同じでなくてはならない仕事」というものがあります。たとえば作成者によって帳簿の数字が異なっていてはいけないし、プログラマーによって出力結果が大きく異なるような仕事もマズイです。

大きい企業になればなるほど「人間の交換性」を重視して、部品化する傾向があるので「取替え可能な人間」がほとんどを占めるようになります。だから、そういう意味では「私の代わりは他にもいる」という言葉は正論だったりします。

なんて思ったりしたんですが、自分の中でいくつか消化しきれない何か。

「同じ業務をしているようでも人によって何かが違う。」

あるんですよね。
たとえば、同じチェックをする仕事でも、特定のチェックだけはムチャクチャ迅速かつ正確にできる人とか、障害が発生したときにその原因究明までの距離がむちゃくちゃ短い人とか。たまたま同じ業務をしているだけで、その業務の見え方が全然違うというか。「チェック」という業務だけにスポットライトを当てれば、前任者も、後任者も同じ業務をできているように見えるんだけど、やっぱり違うんですよ。

簡単に隠そうとしても、個性ってのは簡単に消すことができない。

「そもそも仕事以外の部分で人格は交換が絶対にきかない。」

仕事ができようができまいが、早かろうが遅かろうが、大事な友達や家族はかけがえがない。これが結論。