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2009年2月14日土曜日

あえて調べない

これまで、いろいろな企てを興そうとしたことがある。まずはリサーチから始めることが多かったな。市場調査から始まって、競合サービスの調査まで進んでいく。調査に時間をかけた挙げ句、気持ちがめげてきて終わるというお決まりのパターン。

日の目を見ずに忘却の淵に沈んでいくアイデアは多い。そして、それはそのまま続けるリスクに比べれば、極めて賢明な選択だったという結論になっちゃうんだね。なってきた。いや、そう思いこもうとしてきたんだ。

そして、結果として「何もしない」ことが最上の選択として、「経験」という形で意識に刻み込まれていく。そうやって、あきらめの文化が自分の精神の土壌に根付いてくるんだな。

もうね、調べるのやめようよ・・・って思うのさ。前例があるかないかというのは、実は「何もしないこと」を正当化するための道具なんじゃないかなって。

・過去に成功した前例がないからやめとこう。
・すでに前例があって儲かってないみたいだ。
・成功した前例がありすぎて今からでは遅い。

バカヤロウ!・・・って言いたくなる。ええ、もちろん、言い訳をしてばっかりの自分自身にね。ハケンで大企業体験をしていると出てくるのは「前例に従ってください。」「前例がないので、別の方法でお願いします。」・・・なんて返事がままある。

大企業ならまだ分かる。いいか悪いかは別として。でも少人数で仕事を始めようとする時に「前例」を気にするのはいかがなモノだろうか。ましてや一人で何かを企画するとなれば、身軽さが最大の武器だろうさ。それにも関わらず、なぜ「前例」の重りを付けてしまうんだろうね。

もう、そういうのはやめる。小説家になろうとして希望を抱いていた人の中には、自分の文才のなさに気づいて書くのをやめてしまう人もいる。たとえば、その分岐点が10年前だったとしようよ。

たぶん、あきらめた人はかなりの確率で小説家以外の道を歩いている。でもあきらめずに数年後の自分を信じた人は、小説家になれる確率を日々高めているはずなんだ。

そりゃ大人だから、決断しなかった人生を悔やむより、今の人生を肯定する方が前向きなのは分かっているんだろう。後ろ向きで生きていくよりはずっと賢明な生き方だとは思うんだけど、ちょっとは立ち止まって考えてみようよ。

あのまま続けていたら・・・って思うことってない?

もし思うことがあるのなら、もう、そういう選択するのやめようよ。今の人生の選択は、「いつも自分自身と戦って獲得した選択肢だ!」って胸を張って生きていきたいじゃないのさ。

今からだって遅くないし、一度あきらめた目標だって視点を変えてみれば、いくらだって再スタートできるかも知れない。

2009年2月13日金曜日

心理ドリブンで考える

「朝、どうも起きられない」「仕事に行くのが苦痛で仕方ない」というように理由が明確な場合、シンプルな解決策は「しない」ことなんだと思うんだけど、生きていく上での差し障りは必ず発生しちゃうんだよね。困ったことに。

ただ、人体のメカニズムってけっこう馬鹿にできないんじゃないかなあ。一部の動物が地震を予知するように、理屈より先に体が反応することはあるんだし。それが目に見えない空気を読むことだったり、いやな予感のお陰で未然にトラブルを防いだりできたりとかね。

潜在意識を把握することは不可能だ。把握できる意識は顕在意識なんだから。だからこそ潜在意識が引き起こす体調変化には注意しておきたい。あー、そういえば、最近、胃が痛むんだよなあ。ストレスとか感じてないはずなんだけど。潜在意識下ではストレスを受けまくっているんだろうか。

まぁ、この手の話にはいろんな抜け道があって、「病は気から」というように、意識しすぎることで体調に変化が起こってきたりもするので、逆に体調を気にしすぎるのもよくないんだけどね。ためしに一日中マスクをして仮病を使ってみると、体調の変化が起きてきたりする。たとえば頭がフラフラするとか、なんとなく体がだるくなってくるとか・・・そういう変化が実際に起きてくるから不思議。プラシーボっぽいけど。

個人的な見解としては、自分の不調に関するレーダーが鋭敏化されて、普段なら取るに足らないような現象まで、全部読み取ってしまうからだと思う。「現実の出来事」と「意識する内容」が関連付けされてしまうんだろうな。

これをポジティブ方向に利用すると、いわゆる成功本なんかに書いてある「自らの願望は紙に書いて、普段から読み上げること。」に通じるところなのかも知れないねえ。要するに取るに足らないような出来事も、自らの願望に少しでも近ければ瞬時にリンクを張れるようになるとか。

願望の強さによって関連付けの能力が高まってくると、反射的にチャンスを捕まえることができたり、または間接的なつながりを連想することで願望と関係なさそうに見えるチャンスも逃さなくなる・・・ってことか。

で、「朝、どうも起きられない」「仕事に行くのが苦痛で仕方ない」という状態に対しては、大きく二つのアプローチがあるような気がする。

(1) 現状環境はそのままで、心理側を調整して納得させる。
(2) 心理側の欲求を優先して、現状環境のほうを変えていく。

通常は(1)が推奨される。というか多人数にとって現実的だからかも知れないけど。確かにこれが(2)となると、転職するとか自分で起業するとか大掛かり感があるんだよね。ただ、「なんで?なんで?」って、醒めていない視点で探求することは世の中にとって全く無駄なんだろーか?

・なんで、朝、起きるのがイヤなの?
 →だったら、昼だったらいいの?
 →むしろ朝起きる生活をやめて、真夜中に起きてみる?
 →もはや時間とかそういうのを無視して生活したい?
 →それが実現すると、どういう生活になるんだろうね?
 →24時間、まちまちに活動しても成立する仕事はないかな?
 →仕事を時間じゃなくて質量で計測する試みを考えてみる?

・なんで仕事に行くのが苦痛なの?
 →遠いから?
 →時間がかかるから?
 →苦手な仕事があるから?
 →苦手な人がいる?
 →疲れが抜けてないから?
 →だったら、近かったらいいの?
 →給料は安くなるけど勤務時間減らしてみよっか?
 →やりたいことが他にあったりするの?
 →何か仕事以外のところで不安なことがあったりするの?

そらぁ、全部をフォローすることは無理だと思うよ。世の中、気の合う人とそうでない人は必ずいるわけだし、気が合ったってお互いの関係が悪化することもある。苦手な仕事があってもある程度は克服しないと組織は回らない。それでも、考えることを諦めるのはもったいないと思う。

よしあしは別として、昔の日本人の大半は週休1日で働いていたんだよね。でも、今は週休2日になって昔よりも疲労が少なくなったかもしれないし、家族と一緒に暮らす時間が増えた人もいるんじゃないかな。

昔は「コミュニケーションのひとつ」なんて言い訳が通っていた「セクハラ」や「パワハラ」もまっとうな企業では排除される時代になった。スケベオヤジの個人的な言動だから仕方がない・・・なんて理屈はもはや通らない世の中。ま、世知辛くなったなんて嘆いている、旧時代のオヤジもたまに見かけますが。

スケベオヤジからすれば「取るに足らないこと」でも、当事者にとっては深刻な問題だったんだろうなあ。でも、「どこでもよくあることだからねえ」なんて、あきらめた社会がそれを容認していたんだと思う。

慣習や常識は時代とともに進化している。昔の日本じゃデカイ刃物を脇に差した人がたくさん歩いていて、すれ違いに鞘同士が触れ合っただけで命がけの決闘になった時代もある。今から考えるとそっちの方が非常識なことこの上ない。

今の常識が、遠い未来に常識でなくなる可能性はいくらでもある。男子が厨房に立ち、女子が高収入で一人暮らしを謳歌できる時代。この次にくる常識を作ることも面白いんじゃないか?

・・・こういうのはどうだろうか?

給料は安いんだけど、毎日行くのにはまったく苦痛にならない仕事場。今の時代の感覚では「わがまま」に思えることが容認される仕事場。もちろん、納期だとかクオリティだとか、そこの仕事場が担うべき社会的責任を逸脱しないように、慎重かつ十分に吟味するという前提でね。

正直ね、私は深夜によく思うんですよ。「あーあ、朝、起きたくないなあ」って。朝昼晩のリズムなんて要らないから、体力が続くまで仕事をブチヌキでやって、疲れたら寝て、起きたらまた仕事をブチヌキでできる環境だったらいいなあ・・・って。

ええ。実際にはハケンに行かなきゃいけないので、夜中の3時ごろに寝て、朝の7時ごろに起き、8時ごろには電車に乗ってますけどね。とりあえず、目覚まし時計を6つ設置してなんとか起きられてます。

まぁ、一方で、時間に縛られているからこそ、ほぼ強制的にカラダのリズムが朝から始まるサイクルができていて、それでかろうじて健康を害していないかも知れないですね。

あと、夜中に起きてひとりで仕事をする状況が続くと、世の中からどんどん離れていくような孤立感や焦燥感が生まれやすかったりもするからね。過去の経験から。夜って理性よりも感情が高まりやすい時間帯だし。その一方、夜中の企画書は、朝の理性から簡単に駆逐されたりもする。ラブレターとおんなじで。

そのあたりのリスクなんかも考えながら、それでも勤務時間の制限緩和とか、容認され開放されうる要素については、理想形を考え続けていきたいなあ。

ひとつには、「朝、起きることが評価される」という変なルールがある仕事場とかも面白そうだ。基本「朝は起きられません」が前提で、給料とかもそんなに高くないの。でも、一ヶ月の規定日数が達成できたら割り増しが乗ってくるわけ。あはは、自分で書いていてもゆるいなあ(苦笑)。

でも、ベースを低くしておいて、加点方式で評価されていくのは面白いんじゃないかな?

「できて当たり前」なんて思うから、朝がつらくなるんだよ。

こういう些細なことで、褒められたっていいじゃない。

2009年2月12日木曜日

眠さを分析する

別に今、眠いわけではないんだけど。ただ、「眠い」という感覚には、いくらかの興味がある。いろいろな要因があるんだろうが、私が特に感じるのは「当事者意識」が薄らいでいる状況が大きな要因みたいだ。たとえば、自分抜きでも十分に成立しているような会議とか。

逆に、自分が気合を入れている会議で、ものすごく眠そうな人がいるとしよう。ひょっとすると「ちゃんと会議に参加してください!」と怒りたくなるかも知れない。でも、その人が眠たい理由をよく考えてみないと、単に精神的苦痛を与えるだけで本質的な意味がない。

たいていの場合、注意されようが、自分でなんとか努力しようが、モーレツに眠いときは眠いんだ。これは、ほぼ何かの強制力に近いほどの生理現象だもんね。でも、眠さの根本原因を探ると、別のところに問題点があることが見えてくる。

以前、必ず決まって眠くなる会議の前日に睡眠時間を計測し、十分な睡眠を確保した上で会議に出席したことがあるんだけど、それでもやっぱり順調に眠くなっちゃった。これは前日の睡眠時間確保の問題じゃないんだね。そこでその時の会議の状況を分析してみた。

(1) 会議の内容が手を変え言葉を変えて「堂々巡り」していた。
 →「納期が遅れる」という結論を違う言葉で延々と表現するとか。
(2) 発言者の声に抑揚がなく意思を感じないお経みたいだった。
 →「私も時間がないところ嫌々やってるんです」感まるだしの発表。
(3) 現場当事者と現場当事者でしか通用しない会話が混在した。
 →全体会議と現場会議を分けて行うべき。(後に分かれた)
(4) その会議により引き起こされる自分の業務がなかった。
 →自分の業務に直接関連しない話を延々と聞くのは苦痛なのだ!
(5) 会議の雰囲気が固定化していた。はっきりいうと定例マンネリ。
 →かくしてパブロフの犬のごとく眠りに誘う儀式は毎週行われた。

たぶん私以外にも眠かった人、実はいたんじゃないかと思うよ。何人か(4)みたいな人がいたもん。そこの部門の長に「とりあえず話だけ聞いといてよ」みたいなことを言われて、仕方なく参加していたような人。

業務に直接的に関わってはいなかったし、むしろ関わりたいなとも思わない状況下で、かつ自らに議決権のない会議にケチをつけるのは面倒だったり。その他、立場などもろもろの「言い訳」で眠たい会議に黙って参加し続けました。

ええ、「言い訳」ですよ。そこは潔く認めましょう。だって、どんな内容の会議であろうと、そこには参加している私の人件費が発生しているんだから。その会議の参加自体が「業務」なのだから。そこは逃げようのない事実。

ただ、自分が主導権を握っている会議だったら、次のような工夫をしたと思う。というか自分が今後深く関わる会議には意識しようと思うことを書いてみる。

(1) 確認すべき項目を事前にリストアップしておく。
  →明確に「Yes/No」の項目をチェックする。
  →結論だけ聞いたら次に進む。(詳細はその後)
(2) 会議自体のモチベーションを活性化させる工夫をする。
  →「賛辞」を機軸とするポジティブな空気を醸成する。
  →最初は嫌々でも、褒められれば嬉しくなってくる。
(3) 全体会議の前に各所の現場会議を済ませてもらう。
  →全体会議の時点における現場レベルの協議は認めない。
(4)(5) 強制的にでも「発言の機会」を全員に与える場にする
  →話し手が決まっている会議には不要な人々がいる。
  →惰性で参加している人を見分けてリソースを開放する。
  →一言でも口を開いて話すと覚醒効果が高かったりします。

眠い人がいる会議には、他に何か本質的な問題が隠れているんじゃないのかなあ。そういう会議は、どこかであらすじを整理する場が必要なんだと思う。たいていの場合(自分の経験上)、毎回眠くなる人というのは会議に復帰しろと言われても、どこを足がかりにしていいのか分からなくなっているし、そして相当にあらすじを質問しづらくなっている。

そうでなくても、やはりダイジェストは必要なんだと思う。

・どこがゴールで
・何がどこまで進んでいて
・何が障壁になっていて
・何を決めなくてはならないか

議事録よりも荒いダイジェスト資料があるといい。障壁とかトラブルにしても四捨五入・・・いや切捨てくらいの荒さでいいから、ざっくりとしたダイジェストがあるとだいぶ違うんだと思う。

それから、これは我ながら、ちょっと変なアプローチなんだけど、会議出席者全員のモチベーションを確認するのがいいような気がする。参加者全員がモチベーションゼロの会議だったら不幸だけど、ひとりでもその会議に意義とモチベーションを持っている人がいるのなら、それをまず共有したほうがいいと思う。

つまり、会議の向かうべき方向性に対する喜びを共有するんだ。これって会議だけの話じゃないかもしれませんよ。つまんない仕事をつまんないままでやるから、つまんなくなってモチベーションが下がるんだよね。

「面白い仕事なんかない。大人は我慢だ。」と決め付けちゃダメなんじゃないのかな。面白さを発見することって実はものすごく大事なことだと思う。限られた貴重な人生の時間なんですよ。どれもこれも。

だったらモチベーションをあげて、「つまらない仕事」を追い出す努力があっていいと思う。何のために必要な仕事なのか。それは自分にとってどういう意味を持つのか。もしくはどのような役割を期待されているのか。どのあたりがエキサイティングで面白いトコロなのか。・・・心理的なバリアフリー化にモチベーションって必要だと思う。

そのあたりの意識が根底にあるのとないのでは、生産性とか品質が変わってくると思う。「遊びのように興奮できる仕事」を作り出すことが、これからますます必要になってくると思う。仕事は我慢してやるもんじゃない。

ちなみに、モチベーションによる意識の建て直しが不可能なほどの眠気に襲われた場合、私は次の緊急装置を使ってますよ。

【会議からの脱出が可能そうな場合】
お腹の調子が悪いことにして会議室脱出→(可能であれば)コーヒーを飲む→トイレの個室(洋式)に逃げ込む→3分後に振動タイマーが作動するようにする(スヌーズ機能がある場合は自分で止めるまで1分毎に作動するようにしておく)→仮眠→起きて戻る。
※カフェインは遅れて効いてくるので、できれば早めに摂取。
※トイレで熟睡しそうな悪い予感がする時は使っちゃダメです。

【会議からの脱出が困難そうな場合】
息を大きく吸い込む→時計の秒針の秒数を見る→息を止める→60秒たつまでとにかく我慢する→呼吸再開→すっきり!
※呼吸再開後に息づかいが荒くならないように注意!

前者と後者のどちらかというと使い勝手のいい後者かな。「もうすぐ60秒」の頃には息が苦しくて頭がクラクラしてきますが、息を吸い込んだ時には驚くほど意識が覚醒しているはずです。
※素潜りが得意な人の場合、1分程度では効果がないかも知れないので、あくまでも「自己責任」で限界に挑戦してみてください。

ところで、

・少なくとも前日に6時間以上睡眠をとっている
・いかなる状況にもよらず起きていられないほど眠い

という場合は「睡眠時無呼吸症候群」などで、実質的な睡眠がとれていない疑いがあります。状況によっては命に関わるので病院に行った方がいいです。

すぐに病院に行けない状況の場合、ちょっと寝苦しいですが、うつぶせに寝てみると飛躍的な効果が期待できることがあります。もちろん、後で病院に行くことが大前提なので、これも「自己責任」で。

2009年2月11日水曜日

反作用

「残業はなるべくしないようにお願いします。」
なんて言われて、
「はぁー。これで収入激減だなぁ。」
って思っていたんだけど、気がついたら、
「残業してもいいですから、これ頼みましたよ。」
と、言われていた。

人間って不思議なモノで、収入だけを気にしていたままだったら、たぶん嬉しかったんだろうなと思う。やっぱり残業代が出ると出ないでは全く収入が違うからね。

でもねえ、不思議とそうじゃなかった。早く家に帰ってすべきことをやりたいなという気持ちがいっぱいで。こんな時間までこんなことをやっていていいのか?なんて焦りが生まれてきたりしてね。

なるほどな。人間ってモードが変っちゃうと、同じ状況でも全く違う反応をしちゃうんだよなあ。我ながらおもしろい現象。

別に残業自体がいやというワケでもない。お金に繋がるという単純な理由としても十分に納得ができる。ただ、予想しない残業とか、コントロールできない状況っていうのは、自分にとって大きなリスクなんだよね。

仕事で会う約束をこれからは積極的に入れていく。ただ、どうしても掛け持ちとなると夕方以降にならざるを得ない。そこで突然の残業ということになると事情が変わってくる。

今まで以上に仕事をコントロールしなくてはね。つまりハケンの方も必死で働けってこった。決まった時間の帰宅を守るためには、仕事の計画を正確に立てて、さらに迅速に仕事を終わらせる工夫も怠っちゃあいけない。

真剣に仕事をするためのモチベーションが増えたっていうのは、そんなに悪いことじゃないなと思ってます。それにどんな仕事でも貪欲に突き詰めると何らかの発見があったり、自分のスキルを伸ばすヒントが隠されているんだと思うんですよ。

違う意味で真剣勝負が増えました。
気合いを入れにゃなりません。

2009年2月10日火曜日

「完璧」を捨てる

中途半端な「完璧」主義ほど、やっかいなブレーキはないなあと思います。現状で完璧な状態じゃないから始めない。始められない。とてもやれない。システムを構築する時も、たくさんブレーキがたくさんかかったりします。

 ・高負荷時の問題点は?
 ・セキュリティリスクは?
 ・今後の拡張性については?
 ・安定稼働させるための仕様は?
 ・障害からのリカバリ対応は?
 ・スクリプト言語は何が適切か?
 ・DBを使うべきか使わないべきか?
 ・DBを使うなら何を使うべきか?
 ・システム移行の際の安全性は?

全部、大事なことです。すごく大事。最初のウチから考えておくべきこと。大規模なモノについては、最初からキッチリとした仕様を作ることが肝心。・・・なんですが、全てに適用すべきかというと、それは違うと思います。

「このサービスは、絶対に利用者が増えていくはずだ。」
「爆発的に利用されたら、次はこういう機能を付けよう。」
「セキュリティリスクがあるからチェックを徹底的に。」

どれも想定として大事なんだけど、あまりやりすぎるとゴテゴテしていく。最初はシンプルだったものが、気づいた頃にはシンプルじゃなくなっている。シンプルじゃなくなったシステムは、複合的なトラブルを抱えやすくなる。

どうせ「完璧」なんてないんだからさ。むしろ完璧を最初から目指したシステムを後から作り直そうとすると、最初から作り直した方が楽なことの方が多い。どうせ作り直すなら初回のトライはアドホックに作っておいて、後から焼き直せばいいんだと思う。

システムだけに限らない。報告書にしてもそうだし、提案書にしてもそうなんじゃないのかな。まずはやってみる。走り出して走りきらないうちに周りに見てもらう。方向性が固まりきって硬直してしまう前に、いろんな提案や感想を聞いてみる。

βバージョンでいいじゃない。
ミクシィだって未だにβバージョンだ。

まぁ、ミクシィはそろそろβじゃなくなってもいい頃だと思うけど。

2009年2月9日月曜日

いざ、私利私欲のために!?

前にも書いたように、人生の師、岩井さんに言われた言葉は、

「それは人のためになるのかい?」

だった。その言葉は残響のようにアタマの中にずっと残っている。でも実は、その言葉を咀嚼して食べてしまった私の体内からは、こういう言葉も生まれた。

「それは自分のためになるのかい?」

と。要するに自分がその人の立場になったときに、本当にうれしいことなのか・・・ということ。人間の体っていつかは壊れていく。いつまでも健康であればいいけれど、そんな保証はどこにもない。

たとえば、自分の体が壊れてしまったとしよう。調子が悪いとかいうレベルじゃない疾患とか。頭脳は動いて手足だって動く。でも今までに比べて限りなく不都合な状況に陥ってしまったとしよう。

家族にはお金の心配をさせているが、自分はロクに働くこともできない。お金を使わなきゃいけないことが全て不可能になり、そして、いろんなことを妥協してあきらめる人生・・・。

そんな想像が簡単にできてしまう社会に生きていることを、我々はわりと忘れがちだ。今できることは、よりよい保険商品に入っておくことくらいしかできないようにも思える。

でも待てよ?・・・そういう事態になったって、ちゃんと安心して働ける環境があったらどうなる?・・・そこからでも人生を輝かせることはできないだろうか?

誤解を受けそうな書き方だが、私が関与する仕事は「私利私欲」を意識してみたいと思う。自分が作ったサービスを自分自身が受けて本当に幸せになれるサービスを作りたい。邪道かも知れないけど、自分が受けて満足できるサービスじゃないと意味がない。

家の近くに仲良くしている飲み屋がある。この店で出てくる料理はどれも驚くほどに旨い。そして酒によく合う。なぜかというと、ここのマスターが自分でも食いたいモノを作っているから。酒と一緒につまみたいモノを作っているから。そして食い道楽で飲んべえだから。

そういう意味で、道楽になるほど飲み食いが好きな人がやっている店は、その人自身が納得する味に進化していくので、自ずと飲んべえから信頼される店になるんだと思う。

逆に酒にも料理にもこだわりがなく、そもそも料理を作るのも大嫌い。単に生活のためだけにやっているような店なんかは、景気の後退とともに滅びの道をたどるんだと思う。マズイ料理をガマンして食べる客をカモるような店、どうやったら流行るっていうんだろうか?

自分が誰よりも、そのサービスのファンになれるような仕組みを作りたい。もちろん「自分だけが満足できる」というのは論外ですけどね。ちょっと過激に感じてしまう人もいるかもしれないから、すこしトーンを落としてみる。

要するに「お前らのために作ってやったサービスだ!さあ使え!」じゃなくて、「自分が使いたいくらいにいいサービスなんですよ!」と胸を張れるような仕事がいいな・・・ってコトです。

できれば、関わる人全ての「私利私欲」になるといいなと。

と、いいつつ、なんだか思うよりも先に進まないな。進みたくても進めていないという・・・まさにホフク前進。いやあ、なんて正鵠を得たネーミングなんだろう。(うれしくないけど)

なんだかんだ、一時的にハケンが忙しくなったりしていますが、とりあえず乗り越えていこうと思います。

がんばります。はい。

2009年2月8日日曜日

それ一緒じゃん

今、不況で人材がどんどん切り捨てられている時代なんだけど、そういえば少子高齢化の話題はどこへ行ったんだろう。海外から移民を募ってどうの・・・っていう話もあったんだけどね。

そもそも、その前に雇用機会を増やす方が先なんじゃないの?・・・って思うんだけどな。仕事の受け皿が増えない状態で、労働力だけを輸入しちゃうと、あぶれる労働者が増えるだけじゃないですかー?

日本人がやってた仕事を奪われてしまうだけか、こちらから呼んだクセに「仕事がないので祖国にお帰りください」なんて、人を馬鹿にしたような結果に終わったりしませんかー?

たぶん、国内における人的資源の稼働率を高めるのが先決で、そのためには新規の雇用創出と、人的資源の掘り出しを同時に行う必要があるんじゃないのかな。

「自分は働けないんだ。世の中に参加できないんだ。」と思っている層が活性化すれば、もっと世の中は明るくなるんじゃなかろうかと。たとえば「高齢者」と呼ばれる層とか「障碍者」と呼ばれる層とか。

いろいろそのあたりのことを考えてます。ユニバーサルに起用できる人材資源という意味では、まだまだ開拓できる雇用環境があるんじゃないのかなと。そんなことを思いながら、昨日は精神障碍者の就労セミナーに行ってました。

精神障碍の人たちの就労を支援する組織の講演会。組織の取り組みとかアイデアとか、知りたかった話がたくさん聞けた有意義な時間でした。

講師の講演もよかったんだけど、すでに精神障碍を表明して就労している当事者おふたりの話もよかった。ものすごく仕事に対する意欲があるんだなーと思って聞いてました。

「仕事は社会との関わりを実感する大事な場です。」
「無理しないで、でも諦めない姿勢が大事です。」
「具合が悪くなったら、休憩を入れて充電します。」

このあたりが当事者のお二人から出てきたご意見。

・・・ふ~ん、そうだよねえ。いや、特別に感銘を受けるワケでもなんでもないんだけど、いや、ホント正論ですよ。というか、働いている人ってみんなそうじゃないかな。

要するに「なんだそれ?オレと一緒じゃんか!」という感想。

疲れたら休養をとって体のケアをするのは大事だもん。長く続けるためには「ガス抜き」の技術は絶対に必須ですよ。

クルマの運転をしていて、曲がり角ではちょっと力を入れてハンドルを持つけど、直線道路だともうちょっと力を抜いてもいいんだよね。つまりそういうこと。

で、いわゆる精神障碍者という人たちは、どういう環境下で働いているんだろう?配慮のない職場に比べて何が違うんだろう?・・・というところを気にしながら話を聞いてみた。

どうやら休憩時間の取り方を考慮したり、調子が悪いときには帰らせてもらったりしてるらしい。特に本人が申し出なくても、周囲が気を遣って帰らせたりもしてくれるそうだ。

それって、いいよな・・・。

障碍があるとかないとか関係なく、全ての人に対してそうだといいと思う。そういう思いやりがあると、職場に対する愛着が生まれるんじゃないのかな。今は体調が悪いけど、早く直して役に立ちたい・・・というのが人情だろうし。

彼らの就業状況とかを聞いていると、ちょっとうらやましかった。すべての会社を彼ら基準にしたら、相当、世の中ストレスが少なくなるんじゃないのかね。というか、そういう環境で働くのって、なんかいい感じだ。そういう会社って悪くない。

最近、バリアフリーに配慮した施設が増えているけど、そういう施設って、本来の当事者じゃない人にとっても便利なんだよね。仕事もそういう要素、あるんじゃないのかなあ。きっと。

仕事バリアフリー。まぁ、思いやりと厳しさのさじ加減が難しいけどね。思いやりは大事だけど、あまりにも厳しくなさすぎる「ヌルイ」仕事ばっかりだと、それはそれで「がんばってる感」が刺激されないんだよね(苦笑)。「オレ、がんばってるじゃん」っていう自分リスペクトが生まれてこないとさ。

そのへんのさじ加減。
突き詰めて考えてみる価値、「ある」と思います。