+1

2009年2月7日土曜日

塞翁が馬

昨日は、何を書こうかな・・・と考えあぐねていたりしました。何せ、昨日で4月以降のハケン契約更新のYes/Noが明確になるのだから。まー、最初から、どっちに転んでも悪い話じゃないですけどね。

それでも、いくらか進行方向に影響がでちゃう話なんだもんな。いやー、ホントにすごい時代を生きてるんだなー。もう、何かを通り越して笑っちゃうくらいですよ。サバイバルな時代です。つくづく。

今まで、3ヶ月ごとに緊張を強いられてましたが、今回は格別。残業などのチェックも、異様に厳しくなってきたりもしました。いよいよ感をもって、当日を迎えました。よく眠れましたけど。

経済的に厳しくなるのに、なんだかワクワクしてたんですよね。これで1日の全部を、なすべきコトに全て投入できるのかなって。それはそれで、完全燃焼できるから上等だコラぁ!くらいに。

結果はOKでした。とりあえずあと3ヶ月延長です。奇しくも6月末までの延長ですよ。ありがたいなあ。延長。心から感謝ですよ。

ハケンの契約更新ってのはうれしいもんだねえ。基本的にハケンって「役に立たなければ切っていただいて結構!」という性格のモノだから。状況的に苦しくとも契約を続けていただけるということは、おそらくお役に立てているのだろう。

もちろん、「ありがたい=ずっと続けたい」ではないんだけど、それでも自分の力を評価していただけることはうれしい。ハケンをやっていて切実によかったことは、契約更新が行われるたびに、自分の存在価値や市場価値を確認できることにあると思う。たぶん、これって、雇用に一定の保証があるプロパーさんには理解できない喜びなんじゃないのかな。

いつでも目の前には「ハケン切り」の真剣(カタナの方だ!)が下がっている感じだね。それを突きつけられながら、日々を生きている実感をものすごく感じる。

まさに真剣勝負。いつも更新時期になると机の引き出しを整理したりして、まさに切腹を待つ武士のように身辺を整理しているんです。毎回「九死に一生を得る」喜びを新鮮に感じます。

え?・・・ハケンの契約更新を喜んでいないで、早くハケンを捨てて事業に専念しろって?
ええ。自分の心の声もたまにそんなコトを言ってますよ。

でも、それは状況に応じて、現実に近い選択肢を選べばいいんだと思います。たとえば、何らかの状況によって資金に見通しがついたのであれば、ハケンを捨てて事業に専念するのもアリだと思います。

よく、何かを成し遂げるためには、全てをなげうって退路を塞いでから為すべし・・・なんていうセオリー(?)があるけれど、それは資金の備えがあってのことだと思ったりしています。

当座の生活資金に大きすぎる不安を抱えながら、事業を始めていこうってのは自滅行為だと思うんだよね。捨て身の覚悟・・・と言っちゃえばカッコはつくんだけどさ。

でも、現実的に事業を進めようと考えるなら、数々の選択肢の中から最善手を選ぶ努力を捨てちゃダメだと思うんですよ。睡眠中の夢なら自由で結構だけど、現実に果たしたい夢は現実の土台を固めることが肝要じゃないかな。

ましてや、いろいろな方々にご協力いただく事業であるならば、それが「自分の生活難」によって、途中で頓挫するというご迷惑はかけられない。

正直、今の私に大きな資金はないです。悔しいけどそれはハッキリしています。でもあえて「資産はある」と断言しておきます。その資産というのは、

 ・自らのスキルを買ってくれるハケン先が今はある。
 ・自分には世の中に問いたいアイデアがある。
 ・そのアイデア実現のために前進する勇気がある。
 ・仕事を掛け持ちして現実路線を走る気力がある。
 ・なんとしてもこの閉塞した世界を変えたい願いがある。
 ・そしてそれを応援してくれる方々に恵まれている。

これだけのありがたい資産を持っていて、何にも挑戦しないのは、逆に罰当たりなんじゃないのかなあ。特に最後に挙げた、出逢う方々には本当に恵まれていると思うんです。

素晴らしい方々にお逢いして、自分が小さく見える時もあるけれど、それは自分的に全然OKです。そのスケール感が自分の「伸びしろ」なんじゃないのかなあ・・・って思えますもん。

井戸じゃなくて、大海の広さを知らなくちゃいけない。

どんな状況でも恐れずにね。
人生「塞翁が馬」なんだから。

2009年2月6日金曜日

悲観して楽観する

実は今日、3月以降にハケン契約が更新されるかどうかが判明する日です。もし、ハケンの契約が切れてしまったら・・・については、もう次の行動計画を立ててあるのでジタバタしませんよ。

そもそも3ヶ月更新だから、3ヶ月毎にリスクがあるのは今までと一緒。今までも更新が近づくと身辺を整理したりして、覚悟だけは決めていたわけだし。

もちろん更新されるといいなと思いつつも、毎回のリスクをリスクとして覚悟するのは、ハケンとしてあるべき姿勢なんだと思っています。それが危機管理。

まぁ、今のタイミングで契約更新が切れるとしたら、確かに厳しい状態であることには違いないな。でも、さまざまな手段によって、最悪でも秋ごろまではもちそうな気配だ。

背水の陣としてはなかなかのお膳立てなんじゃないかなあ・・・と、やや、のんきに構えてもいる。メリットもあるからね。一日の全てを自分のなすべきことに費やせるんだよ。生活資金が削れていくというリスクを負いながらだけど。

まぁ、契約更新できればありがたい。できれば吉報を聞ければいいなあと思う。それだけ。「・・・って、おい!?」なんてツッコミが入りそうだけど、まぁ、それだけ。右を向いても左を向いても、どうせうまくいくんだから。

とりあえず自分にとって悲観的な状況を十分に想定し、その状況でどの程度の見込みが立っているのかを検証する。そして危ない状況であれば手段を講じておく。

人事を尽くした後は、自分の努力と神様の采配の領域だもん。それ以上は深刻に悩んだって、事態は変わらないし、自分のためにもならないんじゃないと思うんだよね。

ところで、今、実は自宅の電話線を抜いています。電話をかけられても呼び出し音が鳴るだけで、誰も出ませんよ。あまりに実家から心配する電話がかかってくるから、そっと電話線を抜きました(苦笑)。

心配してくれるのはうれしいけれども、お願いもしていないのに数々の不安要素を並べ立ててくれるんだもんなあ。正直、それをいちいち聞いていたら、自分のモチベーションを下げられるだけなんで、正直なところ迷惑なんだなあ。

「心配する」っていうと聞こえはいいけど、要するに「信頼していないだけ」なんだってことが分からないかなあ。この歳になって自分自身の可能性を信じずに、素直に親の忠告に従って自分の人生を決めちゃうような人間に育っていたとしたら、そっちの方が広い意味で親不孝なんじゃないかと思う。

親の心配のサイズは親の人生から生まれた大きさ。そのサイズを乗り越えて大きくなることの方が、親孝行なんじゃないかなあ。親子であってもその人生は独立したものなんだから。

悲観と楽観をうまく使い分けて、自分の人生には自分で責任を持って前進していきたいなあと思う所存です。はい。

2009年2月5日木曜日

それは人のためになるのかい?

昨日の日記で育ての親の話を書いた。「岩井秀隆」という人の話。本名は違うけど、きっと本人もペンネームでの紹介を望むだろう。何やら有名な作家のゴーストライターだったらしい。

「誰のゴーストライターやってんすか?」と聞いてみたが、
「ゴーストライターは主の名前を死んでも言えないのだ。うひひ。」
と、本当に死ぬまで教えてくれなかった。まぁ、死んでも言えないのは分かるけど、本当に死ななくてもな・・・。

最後まで聞けなかったけど、ペンネームからするとあの作家かな?
「岩井秀隆」→「○井○隆」?・・・憶測だし、ま、いいけどね。真実は永遠に闇の中というやつだ。一人の人間の死にそれくらいの謎があってもいい。
声はダンディで、文章はカチカチからフニャフニャまで変幻自在。文字を主体としたエンターティーメントに生きた人だった。

そんな岩井さんに、将来やってみたい仕事のことを話したことがある。

「もっとコンピュータ(当時「IT」という言葉はまだなかったと思う)をうまく活用して、中小企業に共通する業務効率化に貢献して、もっと知的生産性を向上させるビジネスをやってみたいんですよ。」

今でもコンピュータを含めた情報システムの構築によって、いかに人間の単調作業を減らし、その分だけ知的想像力を活用できるか・・・という分野は、個人的に興味の尽きないところだ。

岩井さんは言った。

「それは人のためになるのかい?」

そりゃなるだろう。やりたくない単調な仕事よりも、アイデアをひねって新しいことを考えるのは楽しい。楽しい時間を創出することに何の問題があるだろうか?

「単調な仕事でしか生きられない人もいるんだよ。そういう人たちから仕事を奪うことが、本当に人の役にたっていると言えるのかい?」

その時はなんと反論したかな。たしか、「知的作業に関して向上心のない人は、時代においていかれてもやむを得ないだろう」・・・的なことを言ったような気がする。

間違っていたね。前の日記にも書いたように、いろんな価値観の人がいてこの世界は成り立っている。「単調な作業」=「つまらない作業」と思っているのも、単に私の価値観に過ぎなかった。

私から見ると「単調な作業」と感じる仕事を、自分の生きがいだと思って、ただただ、がんばって生きている人たちがこの世界にはいる。私の価値観では分からない領域で、品質に差をつけてがんばっている人たちがいる。

そしてそういう人たちによって世界の物質面が構築されていたりもする。建築物とか製造物とかもそういう力で生まれている。そもそも、紙上や机上の空論だけで何ができるって言うんだ。

あれから10年・・・。製造分野で働く労働者がゴミのように切り捨てられる時代になってしまった。ある意味では、私が予想していた世界に近づいてしまった。そして、それはけっして幸せな社会じゃなかった。
適者生存・・・10年後の未来は私が描いたイメージとは違う世界だった。そして、今、まさに自分自身も「適者」であるかが問われている時代だ。

「それは人のためになるのかい?」

そんなわけで、今は逆に「ITで仕事を奪う」のではなく、「ITによって仕事を創出する」をやってみたいと考えています。そういう恩恵をいろんな人に分配できないだろうかとか。

きっとこの世界の中には、まだ見つけられていない「幸せの素」みたいなものが隠れているんじゃないのかな。「仕事の実」というか「仕事の種」というかそういう種類のお宝が。
そういうのを発掘して、いろんな人たちと共有できればいいんじゃないかなと思ってます。

岩井さんには、何も恩返しできないままに逝かれてしまったけど、その分を社会に恩返しできないかなと思っています。

==========
ちなみにGoogleで「岩井秀隆」を検索すると、ちょっと古いけど検索結果が出るわ出るわ。当時の相談室での悪名が轟いているようです(苦笑)。

当時も相当インターネット上で喧嘩をしまくっていたな。というか「集中砲火を浴びていた」ともいうけど。しまいには2ちゃんねるでも叩かれる始末で、そこまでくると逆にすごいような気もしなくもない。

「怖くないんですか?正直?」

私自身は相談室にほぼ関わらなかったが、こう聞いたことがある。

「匿名で書いてくる卑怯者なんか、全然ノープロブレム!」

それを聞いた時に、いわゆる一般的な「社会的弱者」という決め付けと、本質的な「精神的強者」という事実との乖離を実感したものです。

それにしても今はすごい時代だ。もう亡くなってしまった人の遠き日の活躍が、いまだにインターネットの片隅に残っていて、その当時の息の荒さまでもが伝わってくるのだから。

岩井さんの墓場はインターネットだな。たぶん。
もっと言うと、インターネットでまだ生きてるような気すらする。

2009年2月4日水曜日

人生の師匠

世の中に苦しみがあることを、自覚しないで生きることはできる。もちろん、どんな人にも苦しみはあるし、逃げることはできない。だけど、その状況を上回る苦しみがあることを、我々は知らない。

いろんな苦しみが自分に近い距離にやってきた時、初めて見えてくる世界が確実にある。今に至るまでいろんな人に会ってきた。足が不自由な人たち、耳が聞こえない人、ある日、突然食事が不自由になった人。それから顔が大きく変形して生まれてきたおじさん。

みんなそれぞれ、私にとって大きな影響を与えてくれる人だけれども、私の人生の師匠は、先ほど最後に挙げた顔が変形したおじさんだ。母胎にいた際に、当時、検証が十分でなかった薬を母親が投与されたため、生まれた時から頭部が変形し片目は義眼。

やたら元気で人助けの好きな、自称・江戸っ子でね。まぁ、第二の故郷が台湾とかいいつつも、微妙な関西弁をよく使っていたから、そのあたりは追求しない。ただ、英語、ドイツ語、中国語が得意で、台湾とか中国とかともビジネスをこなしたりしていた。

タクシーに乗るたびに、「オレはよ、重度の一級障碍者だからよ、タクシー代なんか、国から金を出してもらって足代わりだ。どうだ、うらやましいだろ!うひひひ!」と自慢されてねえ。無邪気なくせにプライドが高い面もあって、なんとも食えないおっさん。

また、これがよく叱る叱る。20代中盤は、かなりいろんなことで叱られた。実に古風な人間で、「義理と人情、秤にかけりゃ・・・」なんて江戸っ子気取りのくせして浪花節。池袋や浅草あたりを肩で風きって歩いてたな。

インターネットが世の中に浸透した頃に、インターネット相談室みたいのに入り浸って、やたらと相談者を叱りまくってたね。片想いの相談には「お前さんには圧倒的に努力が足りないものと思われる。出直してくるのだ!この唐変木!」とか、不倫の相談をしてきた相談者には「この猿女め!小生には人間の言葉しか使えないので、まあ、貴君には理解できぬであろうが。」なんて。

ただ、厳しい文章ながら、半分以上は親身になって対応していたな。相談者からの手痛い反撃を食らいながらも、本音を引き出して、そこを手厚くフォローするというスタイルだった。

だから最後は仲良くなって、数多くの相談者を相談員に転向させるという、不思議なこともやっていた。まさに「ミイラ取りがミイラになる」といった状況。たしかゴーストライターもやっていたようで、彼にとっては、相談室そのものが文字を用いたエンターティメントの一部だったんだろうなあ。

私とおじさんの出会いもインターネット相談室からだった。青年期特有の悩みをインターネット相談室に書き込んだら、エライ勢いでボコボコにされた。その後の流れとしては、ずいぶん気に入ってもらえて、数週間後には初めてお会いすることになるのだけれど。

このおっさんの話なら、このまま何時間でもかける自信がある。たぶん「ホームレス中学生」と同じくらいのボリュームで書ける。まぁ、今回はとりあえず割愛したいと思う。とにかくバイタリティーにあふれて、ものすごく強靱な精神力の持ち主だった。

ともかく栃木の片田舎で東京進出をしたがっていた私に、「オレが部長をやっている会社があるんだが、オレの下で働かないか?」とお誘いをもらって、某インターネットプロバイダーに転職することになった。それで今の私がある。

そのおじさんが亡くなってから、もう10年くらいにはなるのか。社会に出てから、本当に私の育ての親だった。初めて会った時に衝撃がなかったかと言われれば、正直、かなりの衝撃を受けた。これは事実だ。でも、慣れた。若干、時間はかかったけど。

なんにしても、周囲を巻き込む剛直さと大胆さで、周りを引き込む何かがあったな。周りもおもしろいモノで、このおっさんの障碍について陰口をいう人はいなかったね。もちろん激しすぎる性格については、ミソクソに言う人もいたけれど。

亡くなってから、おっさんのご母堂にお会いする機会があった。小さい頃はいじめられ、「こんな体にどうして産んだ」と親を責める日もずいぶんあったそうだ。

しかし、私が知っているおっさんは、快活で前向きで、ブルドーザーみたいな人だった。生前はそんな話を聞いたことがなかったから、逆にそのことで教えられたような気がする。「男は心で泣いても表にゃ出すな。男はつらいよなあ。」なんて古風な人だったから。

自分がメソメソする代わりに、メソメソしている人を救うことで、自らも救われていたんだろうな。というか、そんなことを、サシで酒を飲んでいた時に本人から聞いたような気がする。

このおっさんに逢っていなければ、たぶん、障碍者とは縁がなかったかも知れない。でも、私の育ての親は障碍者だった。障碍者同士でつるんだところを一度も見たことのないおっさんだった。むしろ健常者に混じって叱咤激励するようなおっさんだった。そして、いまだに私の中では人生で一番の、絶対に忘れられない師匠だ。

このおっさんのペンネームは「岩井秀隆」という。本名よりも気に入っていたようなので、このペンネームを万感の思いを込めて書いておきたい。

とにかく私の育ての親はスーパー障碍者だった。だから障碍者に会うと、つい逆に、通常以上の期待をしてしまうことがある。悪いクセだ。人間それぞれなんだからそんなの関係ないよと知っちゃいるんだけど。

でも、そういう意味で、物理的、社会的な位置づけに関わらず、どんな境遇でもすごい人はいるもんだよということを、身をもって教わった気がする。

そのあたりの確信に基づいて、これから何かおもしろいことができないかなと思っています。世の中、見かけで決めると損するからね。

2009年2月3日火曜日

成功本の評論家

世の中にはいろんな考え方が渦巻いています。だから、どんな考え方にも反対側からの意見とぶつかります。たとえば、感情ひとつについて論じたところですら、

・だから、いかなる場合も「冷静」であるべきなのだ。
・今の時代は「情熱」的に燃える人間が必要なのだ。
・冷静さと情熱は「兼ね備える」ことこそ肝要であろう。
・冷静さと情熱は「両立しない」。さもなくば欺瞞なのだ。

なんて、単なる二元論にとどまらず、あらゆる角度からあらゆる価値観がぶつかり合うんですよねー。たぶん、意見の何割かは「商品として生み出された」ものなんじゃないかなーと思っているわけですが。

突飛な論調って高く売れるんですよね。特に世の中である種の実績を積んでいるほどその効果は高い。心の意表をつくコピーがつけばつくほどおいしい商品になりそうです。

特に成功本なんか特に顕著なんじゃないのかなあ。なんとなく適当に本のタイトルをでっちあげると、「今すぐ早起きはやめなさい」とか「謝らない人間が成功する」とか。特に成功本っていうのは、突飛な切り口が多いような気がする。(←書名を調べずに適当に書いてます。本当に存在したらごめんなさい。)

ただ、そういう本を死ぬほど買っても、あんまり意味がないんじゃないかなあと思ってます。実際にうまくいっている人が、成功本みたいなのを読みまくったなんて話は聞かない。「読んでいたとしても恥ずかしいから言わないのだ」・・・と言われれば、それもそうかも知れないけど。

まぁ、昔は全てのセオリーを知れば最強じゃないか・・・なんて思っていた時期もあるんですけどね。まぁ、近頃はほとんど意味がないと思ってます。まず、自分なりのコアがなくちゃダメなんだと思います。要するに本をたくさん読むだけじゃダメで、自分のアタマを使って煮詰めていくことが大事なんじゃないのかなーと。

どっちにしたって、無数の人格を全てマネをすることは不可能なんだよね。成功本をたくさん読む問題点は「評論家」になっちゃうことだと思う。「○○に比べると、□□の書いていることは抽象的だな。」みたいな。
そこには、○○と□□はいても、自分自身がいない。

おいしいワインを飲みたいのか?
それともソムリエになりたいのか?

そういう状況に似ているような気がする。
たぶん本当に「やる人」っていうのは、そういうのを読む前に先に進んでると思うよ。

2009年2月2日月曜日

いよいよ魔の手か?

ウソから出た誠・・・いや、ウソではないんだけどね。すごいね。
ご存じの通り、ハケンから脱出するためにいろいろやっています。
でも「脱出!」と言っていたら、いよいよ私の周りにも魔の手が。

あれ?こないだまでそこにいた人、なんか最近、姿を見ないぞ!?
なんか人が消え始めています。これはサスペンスだ。ミステリーだ。
そして、私も残業を厳しくチェックされるようになってきました。
なんとなーく最近、不穏な空気が漂ってまいりました。なるほど。

「定時になってなくても、早く仕事が終わったら帰ってOKです。」
なんて話も聞くようになってきた。なるほどなあ。収入激減だな。
・・・まあ、動ける時間が多くなるのは純粋にうれしいけれどね。
ん?・・・どこから聞いても「強がりにしか聞こえない」ってか?

まー、半分は強がりで、半分は本音です。贅沢を控えればいいさ。
ひょっとしたら、3月の契約更新はないかも知れませんな。マジで。
宣告されたワケではないけど、すごい危険な香りがプンプンする。

あと数年はいらないけど、できれば、6月頃までは続いて欲しいな。
あー、まぁ、ワガママな希望というのはよーく分かってますけど。
せめて、あと1回くらい契約更新させてくれたらなーとか思ったり。
でないと、6月30日までチャレンジできないじゃないか!(本末転倒)

とりあえず、3月末日で契約が切れちゃう前提のシミュレーション。
3月末日までの収入を必死に節約して、たくさん貯金するのは当然。
次のハケンが見つからずに1ヶ月たった場合は、失業保険をもらう。
仕事が見つかったら・・・まぁ、やるんでしょうね。それは。

ハケンが失業保険をもらうには、次の条件があるらしい。

・失業保険加入期間が過去2年間の範囲で通算12ヶ月以上ある。→○
・病気やけががあって働けないなどの状況ではない。→○
・契約満了後、1ヶ月以内に仕事が見つからない状態だ。→前提が○
・1ヶ月以内に仕事が見つかった場合は辞退していない。→前提が○

なんとなく1ヶ月と書いてみたけど、実際、1ヶ月は待つらしいです。
ちなみに日当の求め方は、3ヶ月分の収入÷180×50~80%だそうだ。

つか、なんだよ、この50~80%なんていう幅の広いアバウトさは?
ただ、50%だとしても、まぁ、確実に3ヶ月まで生活できる計算だ。
ここまでは、「失業保険+貯蓄切り崩し」で生活できるという前提。

ちなみに80%だとすると、貯金の切り崩しすら不要なレベルになる。
でも、まぁ、ここはあまり期待しないほうがいいだろうな。実際は。

さて、3ヶ月たつと、今度は貯金を切り崩していくことになります。
しかし、高い家賃がたたって、そこから全部自腹で払って+1ヶ月。

さらに現在保有している資産を換金して・・・年末まではOKそうだ。
しかし、今年の年末はマンションの更新月なので、そこでアウト。
失業したままで生きていくと、だいたいそういうシナリオになる。

背水の陣の構築が着々と進んでいる感じだな。がんばれよ!自分!

そういえば「派遣」関連の書籍を見ていたら、お門違いなモノ発見。
もう、書籍ですらないんだけど、この姿にグッときちゃいました。



同じハケンでも、やっぱり、イラクへのハケンはひと味違うぜ!!

どうやら残り1個みたいです・・・。なんということだろう・・・。
欲しいけど、今は生活費を維持しないといけないので無理です(涙)。

2009年2月1日日曜日

名刺

名刺を作りました。初めての人に会うときに名刺がないと、「ただいま名刺を切らしておりまして。」という、なんとも無様なウソをつかなくてはいけなくならない。別に切れているワケじゃなくて、最初から用意していないワケですから。
私ももちろん企業の一員として生きていたことがあるわけで、会社から名刺を貸与されていたことはあります。「貸与」と意識していることでも分かるとおり、会社の看板を背負っているという意識がありました。
組織の看板や肩書きに縛られたくないと思う一方で、組織の力なしに名刺を作ることに対する抵抗感に躊躇を覚えました。まさに自分の名前で勝負するための、組織も肩書きもない名刺。
でも、実は作ろうと思った機会もありました。
とある講演会で、吉本興業の元専務・木村政雄さんのお話を伺ったことがあります。その時のテーマは「組織に囚われない」だったように記憶しています。ちょうどハケンになった頃だったかな。だから当然名刺を持っていないワケです。
話の内容にも感銘を受けたんですね。この話を忘れないように公演後に名刺をいただきにいきました。
「あなたの名刺もいただけますか?」
と聞かれた時に「しまった!」と思ったモノです。まさか私の名刺なんて欲しくないだろうと決めつけていたんですね。真実かつ苦し紛れに、
「私はどの組織にも所属していないので名刺はありません。」
と返したところ、
「それはいけない。すぐに自分の名刺を作りなさい。」
と諭されました。
せっかく人に出会ったのなら、その人の記憶から消えないように名刺を用意すべきだと。忙しい人ほど多くの人に出会っている。そこから消えないことが大事な「機会」や「縁」を逃さないことに繋がると。
それから、ハケンを続けた期間と同じだけの時が流れました。その間、名刺を作ることはありませんでした。もし、自分で何かを始めようと思ったら、まず名刺から作ることが大事だと思います。
要するに、名刺を作らないということは、
「今のところは、自分で事業を始めるつもりがありませんよ。」
という意思表示になっていると言い切っても過言ではないと思います。結局、ハケンになってから今に至るまで、ノーアクションでしたからね。何かアクションを起こしやすいように、正社員じゃなくてハケンという道を選んだっていうのにね。
さて、名刺も作りました。今は「まだ見ぬ方々」との出会いが楽しみでなりません。