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2012年7月11日水曜日

離職者を生みにくい環境

「仕事にはつまらないことがある」というのは正しくて、そしてその一方では間違っていると思います。人間にとって「意味があるのか分からない行為」というものは、比較的、つまらない仕事になりがちです。しかし、意味が見いだせれば面白い仕事にもなりえます。

そんな中で、メンバーを引っ張る人間は「仕事の楽しさ」を伝えることも重要な仕事のひとつなのではないかと、最近考えています。自分が行っている仕事がどのような位置づけにあって、どのように貢献できるのか……というナビゲーションは重要だと思うんですね。

もちろん、状況によって「なんでもいいからやってほしい」という事態もあるわけですが、それでもきちんとフォローをすることは、思いのほか重要なのかもしれません。こう書くと「それは過保護だろう」と思われるかもしれません。

確かに私が送ってきた社会人生活でも、そんな手厚いケアはありませんでしたから、おそらく現状の世の中において「過保護」なんですよね。それでも私は「仕事の楽しさを伝えること」を試してみる価値はあると思うんです。

もしかすると、こういう逸話を聞いたことがあると思います。ある石工職人の話です。

◆三人の石工職人が石を積んでいる仕事場にて……

仕事場を通りかかった旅人が、一体何をしているのか職人に尋ねました。「どうしてあなたは石を積んでいるのですか?」と。

1人目はこう答えました。
「石を積むと親方からご褒美がもらえるんです」

2人目はこう答えました。
「この石を積んで美しい壁を作っているんです」

3人目はこう答えました。
「ここに立派な大聖堂を建てているんです!」

多少オリジナルのストーリーとは違うかもしれませんが、この話はそれぞれの「仕事に対する視点」の違いを表現したものです。視点の広がりという意味では3人目の答えが望ましいことは書くまでもありませんね。

なぜって、「ご褒美<美しい壁<大聖堂」というケースを考える場合、大きい方が、小さい方の要素を全て包含しているからです。つまり「美しい壁を作る」ことには「ご褒美を得る」という理屈が含まれていて、「大聖堂を建てる」には、残りの二つが含まれています。

このように、「視野が広がる」ということは、そこまでのレベルのものをすべて内包しながら、さまざまな判断基準を持つことになるんです。

 ・ご褒美をたくさんもらうためには → 壁を素早く美しく作ること
 ・歴史に残る大聖堂を建てるためには → イメージに合う壁を作ること

つまり、仕事の最終形に意識が近づけば近づくほど、仕事の品質が高まる傾向があると私は考えています。逆に「単にお金だけ」だけが目的で、仕事に対する興味や美学がなければ、仕事自体に魅力がないわけですから、すぐに他の仕事に移ってしまうでしょう。

だから、より仕事の最終形を意識するような「3人目の石工」を育てた方がいいのですが、そのためには、メンバーを引っ張る人間が仕事の最終形を意識していないといけませんし、その最終形を伝える努力を怠ってはいけないわけです。

たとえば、そこの親方がちゃらんぽらんだったとしたら、次のようになるでしょう。

石工:
「一体、この仕事は最終的にどうなっていくんですか?」

親方:
「生意気なやつめ、お前にこの仕事を理解するには10年早い。お前は黙って石を積んでいいんだ。ご褒美をくれてやるから、お前のようなヤツは何も考えないでとっとと働け!」

あーあ、これで、前途有望だった石工は「3人目の石工」になるチャンスを失いました(笑)。このように、仕事先のリーダーの意識がそれ以上に成長する人材の可能性の芽を摘むことがあるわけです。残念ですが、けっこうそういうこと、多いですね。

もちろん、その一方では「経験を積まないとできないこと」があるのも事実で、そうなると、どうしても時間をかけなくてはならないこともあります。しかし、その場合はその場合で、「現在の状況」と「今後期待できる状況」を伝える価値はあるんだと私は思っています。

と、思っていながらも、「実際に経営者の経験も雇用をした経験もしたことのないヤツに、一体、何が分かるっていうんだ!」と言われてしまうとぐうの音も出ません。いやいや、悔しいから書いておきます。「ぐう!」(笑)。

私にとって「多くの経営者」がどう思っているかってのはあまり意味がないのです。むしろ、常識と思われているところを熟慮の上でひっくり返すことにこそ意義があると思っています。それが「経営者にとっての常識」であればあるほど「経営者にとっての盲点」である可能性は高いわけで。

私はこれからの数ヶ月でその答えを出していくつもりです。

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